誰でもいいって訳じゃない

赤西とSMAP、その他J事務所のつまみ食い

私たちは彼の後ろ姿しか知らない。

木村拓哉さんのことです。
 
映画HERO観に行ってきました。(観に行ったのは先月なんですけど、なんだかんだ書き上げるのが遅くなってしまった。主に赤西くんのせい。)久利生公平と、木村拓哉。スクリーンを見ながら、私は二人の人間を見ている気分でした。出てくる台詞で印象的だったものをひとつここに書くので、嫌な方は読まないようにしてくださいねー。
 
 
 

 
 
ちょっと前に「キムタクは何をやってもキムタク」というネット記事を読みました。このフレーズは揶揄として使われ、しかも彼にしか使われないと。なぜ彼だけがこのように言われるのか。このフレーズを使うことによって、私たちは彼の全てを知った気になっていないか。時代の寵児としてあっという間にトップに君臨した彼を、掌握した気になっているだけじゃないのか。そんなことを問いかける記事だったと記憶しています。映画の中でも同じような台詞が出てきます。「久利生さんは、やっぱり久利生さんだった」。このフレーズは、前向きな意味で使われていたと私は受け取りました。正義感が強くて諦めが悪く、どこまでもしつこくて我儘で、周りの人を振り回す。でも、それが彼の良さだと。どんなに困難でも、真実を追い求める姿勢はいつまでも変わっていないんだと。
 
その時、私には久利生公平と木村拓哉が重なって見えた。久利生公平が私の目の前に現れてから14年。確かに今日観た久利生さんも、14年前に観た久利生さんと変わっていなかった。人ひとりが亡くなった。原因となった被疑者の人生を預かっている。その事を純粋に真摯に受け止め、検事として被害者に何が起こったのか真実を突き止め、与えるべき罰を与えられるべき人へ。その姿勢は今でも全くぶれず、潔かった。
 
 
平成生まれの人たちにとって、きっと生まれた時から"木村拓哉=キムタク"で、それが当たり前のごとく彼はトップスターであり、トップアイドルだったでしょう。でもギリギリ昭和生まれの私やそれ以上の人たちは、木村拓哉がまだただの”木村拓哉”でしかなく、そこから一気にスターダムへの階段を駆け上がっていった様子を知っているのではないでしょうか。私は当時小学生で、しかも都会とは時差のある田舎だったのであまりハッキリとは覚えていませんが、それでも”キムタク”が売れていったスピード感は凄まじく肌で感じられました。脇役として出演したドラマの役が大ヒットして若い女性のハートを掴み、その美しい顔とそれまでの正統派ジャニーズアイドルにはなかった、やんちゃで危うげな不安定さ、力強い目力と何とも言えない迫力のあるセクシーさで一気にファンの年代層を広げていきました。世の中の女性の大半は彼に心奪われ、彼に夢を見た。抱かれたい男No.1に選ばれ、時代の寵児になり、世の中は彼一色に染まった。テレビをつけても雑誌を開いてもそこには彼がいた。あの売れ方は今考えても異常だと思う。言っておくけど、嵐なんて比じゃない。世間や大衆とかいうよく分からない実体のない雰囲気が、”キムタク”というアイコンに好き勝手に色を塗り、本来存在しない架空のアイドルスターを創り上げたようなものだと思う。もちろん、木村さんの持つ素質やその後の努力に依る部分も大きかったと思うけれども。突然現れた、分かりやすく時代を象徴する一人の男の子に、沢山の希望と要望と欲望を押し付けた。かっこいい、イケメン、男らしい、セクシー。軽率に言葉にしてしまえるのに体現するのは困難なことばかりを彼に求め、その背中に投げつけた。こうあってよ、こういてよ。私たちの理想でい続けてよ。なんて残酷な要求だろう。でも彼は今日までその厳しい要求に応え続けてくれている。どんなにむちゃくちゃな事を言われたって、飛び越えるハードルが高く設定されていたって、彼は体当たりでそれらを超えてきた。決して振り向かず、ただただ前だけを見据えて。そうやって、20代から今までの20年間近くをひたすらに走り続け、私たちが求める木村拓哉を見せ続けてきてくれた。私たちはただ彼の後ろ姿を追っていたに過ぎない。木村拓哉をキムタクにしたのは、他の誰でもなく当時彼を祭り上げたあの雰囲気であり、それをいつまでも私たちは引きずったままでいる。結婚しようが父親になろうが30歳になろうが40歳になろうが、お構いなしにあの時の夢の続きを彼に見せてもらっている。彼に取って代わるただ一人の男の子が未だに誕生していない事がその証拠だと思う。だから私たちは彼に夢を見続ける。だから彼は「キムタクは何をやってもキムタク」と言われてしまう。それもそのはず。だって私たちが求めている事が変わっていないんだから。
 
 
「かっこいい」とは何か。誰も文句の言えないかっこよさとは何か。一点の曇りもなく正しく、正々堂々と真っ直ぐで情熱的。勝ちにこだわる負けず嫌いだけれど、負けた時には潔く相手を讃える。いつも努力を惜しまず、だけどそれを表には見せない。誰にでも平等に優しく紳士的で、目上の人から可愛がられ、後輩からは慕われる。何処か妖しく危険な香りがするけど、一途で愛情深い。女性だけでなく男性の理想をもこれでもかと詰め込んだ、漫画やドラマの中にしかいないような非の打ち所がないかっこいい男。彼はそれをやってのけてしまった。こちらが悔しくなるくらい彼は正しいから、悪意ある人たちの反感を買うのだと思う。頭では分かっているけど出来ないことなんてたくさんあって、努力すればいいことなんだけど、凡人は自分に甘くなってしまうから、彼のように隙なくかっこよくなれる人間なんてそうそういない。だから嫉妬して、彼を「キムタク」と呼んで揶揄する。好きな男No.1と同時に、嫌いな男No.1にも選ばれていたのはきっとそういうことなんじゃないかと思う。
 
 
彼の歩く先に道はない。前人未踏、なんの道標もない1センチ先も見えない暗闇の中を手探りで歩く。不安そうな素振りなんて見せない。あの逞しい腕で道を切り拓き、一歩一歩突き進む。姿も見えず実体すらない悪意にどんなに石を投げられ、罵声を浴びせられたとしても決して下を向かず、怯まず、足を止めない。何があっても前へと進む彼のあとについて、私たちはちょっとしたドキドキ感とスリル、でも彼が先にいるという大前提に約束された安心感を手に入れ、彼の背中を追う。
 
私たちは、彼の背中しか見ていない。後ろ姿しか知らない。彼が何を見つめ、どこを目指しているのか、ちょっと後ろから彼の足跡を辿って知り、同じ方を向いて一緒になって目指している気分になっているだけだ。実際はただ、親の後をついて歩くヒヨコのように、その大きな背中に隠れて守られているだけなのに。先陣を切って歩き、矢面に立ち傷付き疲弊し消耗しているのは彼自身だけなのに。
 
 
彼は間違いなくこの時代の寵児であり、スターだ。傷だらけになりながらも先頭を嬉々として走る。一番乗りってかっこいいじゃん!と、ついた傷すら勲章にして。嗚呼なんてかっこいいんだろうか。唯一隣に並べるとしたら同じSMAPのメンバー、中居さんくらいだろう。彼は彼で先頭というより殿(しんがり)を務めていると思っているけども。それはまた今度書こう。書ける時が来たら。
 
 
 
 
なにが言いたいのかまとまらなくなって来た。いつもこうなんだよー、言いたいことはあるけどオチがない。一人でぐるぐる考えてるとそうなるんだよね。誰かと会話しながら考える方が私には向いている気がする。ダメじゃん。ブログ向いてないじゃん。まあつまり何が言いたいかって言うと、木村拓哉は日本一かっこいいってことです。以上、解散!